参画堂日記

わたしをつくる、仕事をつくる、社会をつくる。
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カナダ日記70
以前に何度かお話した「スカボロー女性センター」の「One to One mentoring Program」。最近話題にしていませんが今もちゃんと継続しています。
毎週木曜日ボランティアのハラと、図書館で落ち合って1時間の「おしゃべり」を楽しんでいます。

このプログラムの目的は、ボランティアの人が、英語に自信が持てない人や、孤独感を感じている英語を母語としない人と時間を共有し、「会話」を通してその人を支える支援プログラムです。
毎週1時間、ハラと会話の時間をもつことで、私は自分の英会話力のなさから来る自信喪失感や、自己嫌悪感を持たずにすむようになりました。

かといって、私の英会話力がアップしたかというとそういうわけではありません。いつまでたっても、私の言葉の数は増えないし(一つ覚えると一つ忘れていくもの・・・)、どうしても英語で考えることができないために、思っていることの半分も英語で表現できません。それでも、ハラとわたしのコミュニケーションは、結構うまくいっていると感じることができます。
たぶん、それはお互いが、相手のことを知りたい、相手の気持ちをわかりたいと、寄り添っているからだと思います。

ハラは「シズカの話すことは、ちゃんと理解できるよ。発音も悪くないし(決して発音が良いということではない)、言いたいことは、伝わるよ」と言ってくれます。
でもそれは、ハラが、私の言いたいことを聞こうとしてくれているからだと思います。なぜなら、私は今までに「お前の話す英語は、わからん」といわんばかりに、聞こうとしてくれないどこかの店の店員や、窓口の人との会話の断絶を何度も経験しているからです。

私の英語のレベルはハラに話すときも、そういう店員に話すときもさして違わないはず。
それなのに、この違いは、聴く側の姿勢に他ならないと思うのです。

「あなたの言いたいことを理解したい。さあ、話してみて」と、心を開いて向かい合ってくれる人との会話は、私の英語がどんなにつたなくても、言いたいことは伝わるのです。
ハラは、私が言葉に詰ると、よく「シズカのいいたいことって、○○〜△△ってことだよね」と私の言いたかったことを代弁してくれます。「そうなのよ!それそれ」私は、自分の言いたかったことがハラにちゃんと伝わったと確認できてうれしくなります。
これって、私が日本で「コミュニケーション・セミナー」の講師をしていたときに、参加者にお伝えしていたことそのものなのです。ふ〜む、どんな言語を使おうと、コミュニケーションの基本は同じなんだ!

反対に、聞いてくれようとしない人とのコミュニケーションは最悪です。
心の中はあふれんばかりの感情でいっぱいなのに、頭の中はアイデアがいっぱいなのに、それを表すすべを持たないときの、なんともいえない苛立ちや悲しさ。
そういうときに「あなたの言っていることは、まったくわからない」と言って向かい合おうとしない相手に対しては、何かを伝えたい気持ちも萎え、相手に怒りさえ感じます。
これでは、コミュニケーションは成り立ちませんね。

毎日の生活の中では、小さいけれど、こんな風にコミュニケーションがうまくいかない時ってあると思いませんか。そういう時は、きっと、お互いが相手の気持ちにより添えていないのでしょう。わたしたちは、言葉が自由に使えると、相手の言いたいことをわかろうとする気持ちを忘れてしまうのかもしれませんね。

ところで、私とハラとのコミュニケーションがうまくいっていると感じる理由は、もう一つあります。ハラは、イスラム教徒なので宗教感は私とは違いますが、女性を取り巻くさまざまな問題や、フェミニズム、子育てのことなどを話していると、共感する部分が多く、わかりあえているという安心感をもって話すことができるのです。

私が、日本の女性が未だに結婚・出産後も働き続けにくい社会であることを話した翌週には、日本の働く女性の境遇を取材したワシントンポストの「Japanese Working Women Still Serve the Tea」という記事を捜して持ってきてくれました。この記事を読んで私たちの会話が盛り上がったことは言うまでもありません。
私が貸した「世界中のひまわり姫へ」の英語版にも大変興味をもって、6歳の娘と一緒に読んだそうです。
彼女の問題意識と私の問題意識がよく似ていることと、価値観に共通する部分が多いことで、話したい内容が大きく食い違うこともなく会話が弾むのでしょう。

これほど相性ぴったりに感じられるペアを選んでくれた「スカボロー女性センター」のカウンセラーのマッチングには、脱帽です。
女性センターの方針により、ハラと私の関係は、「ボランティア」と「支援を受けている人」であり、その一線を越えることはできません。つまり、「友達ではない」という意識を持たないといけません。一見非情のようにみえるこの方針も、実はボランティアの立場を守るためにあります。親しくなって情にほだされると、「支援を受けている人」の問題にボランティアが巻き込まれてしまうこともあるそうです。本来、女性の自立を支援するためのプログラムなのに、「情」を元に支援を受ける側の依存度が増してしまうようなことがあってはなりません。その主旨は大変よく理解できます。

そんなわけで、私はハラがとっても大好きだけれど、単に気の合う「友達」としてではなく、彼女の考え方や生き方を心から尊敬できる私のよき支援者だと思っています。
帰国まで、ハラとの時間をもう少し楽しむつもりです。
(伊藤静香)

世界中のひまわり姫へ―未来をひらく「女性差別撤廃条約」
世界中のひまわり姫へ―未来をひらく「女性差別撤廃条約」
小笠原 みどり, 永田 萠
| カナダ日記 | 00:10 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記69
先週末、夫とオタワへ小旅行に出かけました。

トロントに引き続き「ドアーズオープン(Doors Open)」の催しが6月2,3日の2日間オタワでも開催されていたからです。
オタワは、カナダの首都です。トロントから、車でハイウエイを100キロで走って4時間。
名古屋から東京間より少し遠い距離です。
カナダでは(アメリカも)ハイウエイはほとんど無料なので、気軽に車を転がして遠出ができます。日本なら宿泊代と高速代金でかなり費用がかかってしまう旅行も、ここでは安いモーテルを利用すればお金をかけずに旅行が楽しめます。

「ドアーズオープン・オタワ」はトロント同様に、日ごろ見ることができない歴史的建造物や有名な観光施設が無料で開放されていました。今回私たちが訪れたのは、国会議事堂(パーラメントヒル)、リドーホール(総督邸)、国立美術館、国立自然博物館、ローリエハウス(昔の首相宅)などです。

国会議事堂では、ガイドツアーに参加して内部を見学しました。なかでも、国会図書館は、2005年にリニューアルされたばかりで、目を見張るようなすばらしさでした。一面に施された木工細工の本棚にうっとり。図書館中央には、真っ白に輝くイギリスの「ビクトリア女王」の彫像がすえられており、カナダがイギリス連邦の一つであることを意識させられました。

実はわたしは、カナダで生活するまで、カナダがイギリス連邦の一つであることを知りませんでした。昨年、新しい「ガバナージェネナル(総督)」が任命された時に初めてカナダがイギリス連邦の一つであることを知ったのです。日本におけるカナダの存在は、どうしてもアメリカの陰に隠れてしまって、本当のところあまりよく知られていないのではないでしょうか。わたしもここに来るまで「カナダ=(赤毛の)アンの国」という認識しかありませんでした。

そこで、ご存じない方もいらっしゃると思いますので、ちょっと説明を。
カナダは、議会民主主義の立憲君主国です。つまり、イギリスの国王あるいは女王が国家の元首で、現在はイギリス女王エリザベス2世がそれにあたります。国会で決められたことは、最終的に女王の承認を得て決定されます。ガバナージェネラル(総督)は、女王がカナダに滞在していない間、女王の代理をつとめる役割をします。首相の提案をもとに、女王から指名されたカナダ人がガバナージェネラルとなります。

現在のガバナージェネラルは、「ミカエル・ジョン」という黒人の女性です。彼女は、ハイチ出身の難民移民です。幼い頃にカナダに移住し、カナダの教育を受け5ヶ国語に堪能、大学卒業後はジャーナリストとして活躍していました。彼女は、政治的・軍事的なバックグラウンドをもたず、移民出身で、女性としては3人目、初の黒人女性の総督です。彼女のキャリアがすばらしいことももちろんですが、ビジブルマイノリティーの人材を起用するところに、ダイバーシティを積極的に取り入れているカナダの姿勢を感じます。

カナダ日記69−1  カナダ日記68−2
カナダ国会議事堂(Parliment Hill)     国会図書館内部


ところで、2日間かけてオタワを代表する施設めぐりをしたわけですが、夫と二人でゆっくり歩きながら観光を楽しむなんてことは、日本ではたぶんできなかったでしょう。
思えば、日本ではいつも忙しい夫。わたしはたいてい娘と出かけていたように思います。
今は、娘は日本に住み、ここでは夫婦二人の生活となりました。友人もそんなに多くないので、どうしても夫婦単位で行動することが多くなります。この1年間、週末を夫と過ごす時間の多かったこと。

オタワの中心を流れるリドー運河の河岸に腰かけ、何を話すということもなくお互い黙って、運河を眺めながら流れ行く時間を楽しむときがくるなんて、誰が想像したでしょう!

娘が帰国したときには、なんともいえない寂しさを味わいましたが、子離れすることで、夫と二人の生活にも新たな楽しみを発見することができました。
さてさて、日本に帰ってもこの状態を維持できるかな〜?
(伊藤静香)

| カナダ日記 | 12:45 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記68
この週末、トロント市内の歴史的建造物を無料開放する催し「Doors Open Toronto」が、開かれています。入場料がお得というだけでなく、日ごろは中に入れないような建物の内部が見られるチャンスでもあります。

今年の「Doors Open Toronto」では、新たなテーマとして「環境」が加わり、歴史的建造物に加え、いくつかの「Green buildings(環境に配慮した建築物)」も参加しています。
イベントの前夜祭「Pecha Kucha Toronto」では、トロントの建築家たちが「環境」テーマにシンポジウムを開催したのですが、この「Pecha Kucha」聞き覚えのある響きでしょう?そうです。日本語の「ぺちゃくちゃ」から名づけられたのですって。

昨年、19世紀に建てられた「旧市庁舎」や「旧裁判所」などを見学し味を占めた私は、今年もこの日を楽しみにしていました。

朝10時のオープンと同時に、オンタリオ湖畔にある砦「フォート・ヨーク」から回り始め、「オンタリオ州議会場(通称クイーンズパーク)」「MaRS」「スパダイナ屋敷」などを一日かけて見学しました。

かなだにっき68−1 カナダ日記68−2 カナダ日記ー3
左から「フォート・ヨーク」「州議会場」「議会場の中」

「MaRS」は、非営利団体で運営されている医学関連のネットワーク組織です。
「MaRS」の建物は、トロント総合病院の旧建物を活かしたままモダンな建物にリニューアルされ、2005年に開設されました。主にトロント大学の医学関連の研究室が入居している研究施設です。数億円もするという最先端の実験設備を見せてもらって、ビビッてしまうわたし。日本でいえば、東大の医学研究所のようなところにあたるこの「MaRS」ですから、これだけの設備を備えているにはうなずけますが、それにしてもこの敷居の低さ。ここでは、決められたところのみの一般開放でしたが、こんな風に市民がじかに見学できる機会を開くトロント市とその参加建物の懐の大きさには感心します。
また、先のカナダ日記67の「ROM」でもご紹介しましたが、ダウンタウンの街並みでは、古い建物の外観を活かしたまま新しく作り直した建築物がしばしば目に入ります。この「MaRS」の建物も、旧トロント総合病院の建物の外側のみを残し、新しく建築しています。全部壊してしまったほうが、きっと予算も手間もかからないでしょうが、古い町並みを残しながら、モダンを取り入れるのがトロントのよいところかもしれません。
「MaRS」
カナダ日記68−4 カナダ日記68−5MaRSの内部、右側の壁は旧建築物のレンガ

ところで、トロントでイベントがあるたびに目にするのが、ボランティアの姿です。特に、若い人たちのボランティアが目立ちます。高校の授業の単位として卒業までに40時間の「社会活動」をすることが必修になっていることも大きな原因でしょうが、日本でいうところの「奉仕活動」とは違い、特別に気負った意識はあまり感じられません。ボランティアの存在が特別なものではなく自然なものとして根付いている社会の違いでしょうか。

この「Doors Open Toronto」でも、たくさんのボランティアの姿を見ることができました。
「フォート・ヨーク」では、高校生ぐらいの若いボランティが建物の説明をしてくれました。大勢の人の前で、はにかんで赤くなりながらも一生懸命説明してくれる姿にわたしは、ちょっと感動しました。こうした経験は、きっと得がたいものになるでしょう。日本の高校生には、こういう経験が少ないことが残念です。同じ年代の子をもつ親として、日本の高校生が勉強や部活だけでなく、もう少し社会的な活動にも参加したくなるような社会にならないものかと思案してしまいます。ただ、今言われ始めている「強制的奉仕活動」では、何の意味もないと思いますが・・・。

長い冬を終え、ようやく暖かくなったトロントの街中で、昨日は案内を片手に多くのトロントニアンたちが、この「Doors Open」を楽しんだとこでしょう。日本でも「まちづくり」といって、自分たちの住む街を盛り上げていこうとする動きがありますね。この「Doors Open Toronto」も、多くのボランティアによって支えられて、トロントの街を盛り上げる「まちづくり」運動のひとつといってもいいかもしれません。
(伊藤静香)
| カナダ日記 | 06:34 | comments(2) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記67
ちょっと、過ぎてしまいましたが、先週の金曜日に日本人の友達5人と連れ立って、
「Friday night」を楽しみました。

行き先は、「ロイヤルオンタリオ博物館(ROM)」。
通常料金10ドルのところ、金曜日の夕方なら、5ドルで入場できます。(昨年までは、無料だったのにぃ・・)友人の一人Nさんの作品がROMにあると聞いて、一目見たくて案内してもらったのです。トロント参画研究会で一緒の彼女は、現在トロントのガラス会社で「主任ガラスデザイナー」として活躍しています。

ROMにある彼女の作品は、彼女がまだステンドグラス・モザイク作家として仕事をしていたころの作品だそうです。「まだ、あるかな〜。最近訪れていないから撤去されちゃったかな〜」とつぶやきながら、その場所に行くと・・・・。ありました!

カナダ日記67−1

ヨーロッパ展示館の中心の床の一部として、仰々しくなく、ごくごくさりげなく。

細かなタイルをいくつも組み合わせて、ヨーロッパ大陸を表しているモザイク作品は、床の飾りとして受注納入したものだそうです。交渉に何ヶ月もかかり、デザイン・製作に半年近く、すべて終わるのに1年近くかかった作品だそうです。

「上の子がお腹にいるときにね、こんな大きなお腹を抱えてつくり始めて。終わったときには生まれてたわ」「この部分ね、最後に合わなくなって、もう真っ青になってやり直したのよ」などと、作品を見ながら懐かしそうに説明してくれました。

私がカナダで知り合った日本人女性たちは、しなやかに生きながら何かしらエネルギーを感じる人が多いです。Nさんもその一人。今日に至るまでに、いろいろ乗り越えてきたことがあるからこそ、強さとやわらかさを持ち合わせながら歩んでいらっしゃるように思います。
最近、Nさんは「生活食器」にも関心を持ち、仕事の傍らご自分の工房でガラス食器も製作されています。常に新しいことにチャレンジしている彼女のバイタリティから、私はいつも元気をもらっています。
(伊藤静香)

カナダ日記67−2
ロイヤルオンタリオ博物館(ROM)
トロントには、古い建物のよさを活かしながら、新しいモダンなデザインを融合させた建物がいくつかあります。このROMもその一つ。現在、工事中ですが、まもなく全館完成の予定です。
| カナダ日記 | 08:30 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記66
ここ数日TVやラジオのニュースで、カナダ人の「Workaholics(仕事中毒)」のことが話題になっていました。どうみても、仕事中心とは思えないカナダ人の生活ぶりに「カナダ人が仕事中毒?うそだろう!」と思っていたら、昨日の「メトロ(無料新聞)」の一面にその話題が載っていました。
要約すると以下の通り。

仕事中毒のほぼ3人に2人は家族や友達と過ごす時間がないと心配し、半数以上の人が楽しむ時間がないと言っている。しかしながら、調査では、より働くことが生活の質を向上させるわけではないと昨日発表された。
カナダ人の3人に1人が「自分は仕事中毒だ」と思っている。自分を「仕事中毒」だと感じている人は、そうでない人よりも、仕事と家庭の「ワークライフバランス」に満足していない。その状況は、15年前から変わっていない。仕事中毒だと感じている人の39%が週50時間以上働いている。カナダ統計局のアナリストによると、仕事中毒だと感じている人は、そうでない人よりも睡眠に問題があり、体調の不良を感じているが、仕事の満足度と財政状況は、どちらも変わりがなく、人々を長時間労働に向かわせるのはお金ではないと述べている。



週50時間の労働で、「仕事中毒」だと感じているとしたら、日本の長すぎる労働時間は尋常ではありません。日本人は、すでに「仕事中毒」の重症患者です。
カナダでは「仕事中毒」に対して警戒し、「仕事と生活の質」について、いろいろ論議されるのに、日本では、なぜ無関心なのでしょうか。

おりしも、先月「労働ダンピング」の講演会が、つながれっとNAGOYAで開催されたばかりです。残念ながら、わたしは、カナダにいるために参加できませんでしたが、イベントの報告や感想を読んでいると、今こそ「なぜ、私たちは働くのか。どういう働き方をしたいのか」ということを考えるときだと思いました。
イベントの感想は、つながれっとクラブホームページイベント報告ページでご覧いただけます。
(伊藤静香)
| カナダ日記 | 23:43 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記65
日本に関心を持っている韓国人、中国人のクラスメートの中には、「こんにちは」「さよなら」などの簡単な日本語を知っていて「披露」してくれる人もいます。

そんなクラスメートに「日本語って、女の人が話す言葉と、男の人が話す言葉は違うんだよね。女の人は、男の人より丁寧な言葉を使うのでしょう?性別で違う話し方は、どうやって習うの?例えば、学校で国語を習うとき、女の子は女の子だけで女言葉の授業を受け、男の子は男の子だけで男言葉の授業を受けるの?」と、聞かれました。そんなこと今まで考えたこともなかった・・・・。

言われてみれば、英語では、女性が話しても、男性が話しても「Don't do that」だけれど、日本語だと女性が話す場合には「そういうこと、しないでね」、男性だと「そういうこと、するなよ」となります。同じ意味の言葉が、女性と男性と、発信者の性別のよって違う表現の仕方になるということが、確かに不思議かもしれません。

しかもほとんどの女性が「女ことば」を話し、ほとんどの男性が「男ことば」を話すということを考えると「どうやって習うの?」とクラスメートが不思議がるもの無理はないと思います。
「話し言葉だから、文法として習うわけじゃない。小さい時に周りの人が話すのを聞いて覚えるんだよ」と説明したら彼女は納得しましたが、私自身がある疑問を持ってしまったのです。

周りの人の話し方を真似するとしたら、男の子は男の人の話し方を真似し、女の子は女の人の話し方を真似するのでしょうか。もしそうだとしたら、いつごろ男の子は、自分を「おとこ」と認識し、男の人の話す言葉を習得し、「男ことば」を話すようになるのでしょうか?

幼児が言葉を発するのは、1歳半から2歳ごろです。「まんま」や「いや」「おいしい」など単語だけの幼児語の頃には、まだ男女の区別はないようです。
やがて、グループ遊びができるようになる3歳を過ぎると子どもの社会がぐっと広がり始め、自分の性別を含めた様々なことや、自分と周りの人間との関係がわかってくる。そういう過程で話し方も無意識のうちに選ぶようになる、というのが、私の勝手な推測です。
幼い頃から、知らず知らずのうちに「男の子は男らしい話し方で、女の子は女らしい話し方で」という規範が身につくのかもしれません。
そう考えると、日本語を覚えていく過程でも、しっかりとジェンダーロールが身についていくことになるんですね。う〜む。

そういえば、若い頃、乱暴な口の聞き方をすると母から「女の子なんだから、そんな口のきき方をするもんじゃありません。もう少し、優しく言いなさい」とよく言われたなあ。

一つの意味を幾通りもの言い方で表せる日本語は美しいと思うし、自分が使っている言葉をわざと「男ことば」にしようとも思わないけれど、「女だから」という理由で使う言葉を限定されたら、窮屈に感じます。
男だろうと女だろうと、自分の気持ちにいちばんフィットした言葉を使えたらいいな。
(伊藤静香)
| カナダ日記 | 12:53 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記64
先日、「わたし、しあわせ」と書きましたが、その「しあわせ」が一遍に吹っ飛んでしまうようなことがありました。

ショッピングモールの駐車場に車を止め、買い物に行っている間に、車をぶつけられたのです。車を運転している以上、事故にあう可能性はあります。ただ、英語がうまく話せない私にとっては、交通事故はいちばん避けたい災難だったのです。しかし、ついにその「災難」が私にも降りかかってしまいました。

車をぶつけた相手は私が車に戻るまで待っており、「わたしがやりました」と謝罪してくれました。当て逃げされて、泣き寝入りせずに済んだのは幸いでした。駐車場での当て逃げはよくあることで、加害者の人が30分以上も私をまって、正直に申し出てくれたことは、非常に珍しいことなのです。
相手は、中国人の30代くらいの女性でした。何度も「ごめんなさい」と誤り、私が免許証や自動車保険証の提示を求めたことにも素直に応じる礼儀正しい人でした。今回は、全面的に相手の過失なので、今後の事故処理に関しては大きなトラブルはないでしょう。ただ、何をするにも「迅速、顧客サービス」という概念がないように思われるカナダのやたらとゆったりしたシステムのおかげで、車はいまだに修理にも出せず、ただただ待っている状態にいささか、うんざりではありますが。

加害者が正直な人であったことが、なによりも幸いしているのですが、実はその正直で礼儀正しい女性が「中国系人種」であったことに、ちょっとびっくりしました。と同時に、「びっくりする」その行為の中に私は自分自身が「中国人は無礼で、非常識」だというステレオタイプをしっかり植えつけてしまっていることに気づいてしまったのです。

平気で横から割り込む、周囲を気にせず大きな声の中国語で話しながら大挙して歩く、フードコートのテーブルや床を食べ物で汚しても平気で立ち去る、こぎれいとはいえない部屋着のような服を着て町の中を歩く、日本でいうところの「常識」とかけ離れた行為をする中国系の人たちをトロントで見て、私は無意識に中国人を「無礼、非常識」というステレオタイプで見ていたのです。

「ジェンダー入門」の中で、著者の加藤秀一さんは「差別はステレオタイプを前提としている」と述べています。正直に謝った加害者が日本人女性だったら、多分こんなにびっくりせず、「やっぱり日本人ね。ちゃんと自分の過失を認めることができるもの」と思ったでしょう。「中国人なのに、意外」と思ってしまった私の無意識の意識は差別と結びついているのだと認めざるを得ません。

私はESL英語クラスでたくさんの中国人クラスメートと友達です。クラスメートとの関係は、「日本人」と「中国人」ではなく、「わたし」と「相手」の一人ひとりの関係です。個人で向き合うときには、文化や宗教が違っても、その人を一人の人間として尊重できるのに、「人種」という集まりでみたとたん、ステレオタイプが私の意識を占めます。そういう意識が差別と密接に関係しているという加藤秀一さんのおっしゃっている意味が今回よくわかりました。

トロントでは、私は「アジア人」「女性」「英語が話せない」などの理由で差別を受けていると感じることがあります。ここでは、マイノリティーである私は常に被害者意識を持っていました。しかし「わたしも差別する側になりうるのだ」ということを常に意識していたい、そういう思いを新たにしたのです。
(伊藤静香)
| カナダ日記 | 22:22 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記63
トロントに住む日本人の友人から、「面白いよ、読む?」といわれて借りた遥洋子の「結婚しません。」を読んだ。(2000年に書かれたものだから、ちょっと旬を過ぎてしまったかもしれないけれど、日本の活字が手に入りにくい所にいると、こういう類の本は貴重な一品)

自動車の整備屋さんで、車のタイヤを冬用から夏用に替えてもらっている待ち時間に読んだ。いやあ〜おもしろいのなんのって。「よーこさん」の軽快な関西弁とつっこみに、
ひとりにやにや笑ったり、「うんうん」とうなづいたりしながら読んでいたから、
周りにいたカナダ人たちは「このアジア人、きもちわりー」と思ったに違いない。
おもしろい中にも「ずきん!」胸が痛くなる部分もある。それは、きっと私が専業主婦だった頃「なにか変だ」「なんでこんなに生きづらいのか」と思っていた時の傷がうずくのだろう。

よーこさんは、問いかける「結婚してあなたは幸せ?」

私の答えは、「私、今と〜っても幸せ」。

でも、それが結婚しているからなのか、子どもがいるからなのか、夢中になれる仕事があるからなのか、わからない。すべてのおかげかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
ただ、一つだけいえることは「夫に幸せにしてもらいたい」と思っていた頃には「しあわせ」を感じられなかったけど、「しあわせ」は、誰かに与えてもらうのではなくて、自分で見つけるものだとわかったとき、「自分で生きている」という実感が持てた。
それが私の「しあわせ」かなあ。

結婚といえば、「りかちゃん」の結婚の話題がヤフーに載っていた。
「りかちゃん人形」は、私の同年代の女性なら誰もが遊んだ永遠の「おともだち」。お向かいにすむSちゃんは、当時売り出されたばかりの「りかちゃんハウス」も持っていて、うらやましくて仕方がなかったことを思い出す。私が持っている初代りかちゃんは、今ならプレミアがつくほどの年代物だが、りかちゃん独特のヘアスタイルは、私が絶対伸びると信じて切ってしまったために、今でもショートカットだ。

そういえば、昔「りかちゃん電話」ってのがあったっけ。「もしもし、わたしりかちゃん」と話しかけてくれるりかちゃんの声が聞きたくて(本当にりかちゃんだと思っていた)親に内緒で電話して、しかられた。(東京の電話番号だったりかちゃん電話は、当時、相当高い県外料金だった)現在は、りかちゃんブログが登場し、大きな反響をよんでいる。

さて、そのりかちゃん、5月3日が誕生日だそうで、今年は誕生40周年。(と、いうことは、りかちゃんは40歳?いやいや、11歳のままです)
その記念事業として結婚相手を決めたそうだ。お相手は、フランス人外交官だとか。
実際に人形もイラストも存在しない想像だけの「おあそび」らしいが、記念に結婚させるとは、やっぱり「おんなの幸せは結婚」という社会通念のせいかしらん?
(伊藤静香)
| カナダ日記 | 12:22 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記62
先日の「Wing of Defeat」に続き、昨日は「カナダ国際ドキュメンタリー映画祭(通称HOT DOCS)」で、「Campaign」を見ました。

「Campaign」は日本語で「選挙」
2005年10月に行われた「川崎市議会議員」の補欠選挙で自民党の公認を受け、立候補した山内和彦さんの選挙戦を描いたドキュメンタリーです。

一議席を争う川崎市議会の補欠選挙で、民主党としのぎを削る自民党が党の全勢力を結集させて山内さんを応援します。それまで政治の世界とは無縁で、選挙の作法や慣習を知らない公募で選ばれた山内さんが、自民党という大きな組織の後押しを受け、自民党のために戦う姿が描かれています。

と、書くと、とてもシリアスで、「闘う男」のかっこいい政治の世界が描かれているかのように思われるかもしれませんが、実は、この映画、カナダでは、場内から笑いがあちこちで起きるほど「Funny(可笑しい)」な映画なのです。

街頭演説、選挙カーでの「お願い」、選挙事務所の様子などをカメラは映し出します。
カナダ人の観客には、日本では当たり前のことがどうにも可笑しいらしく、特に、選挙カーでの「やまうち、やまうちかずひこ、やまうちかずひこをお願いいたします」には、大爆笑です。(昨日見に来た人は、きっと、映像の中で何百回と出てくる「やまうち」という日本語を覚えたに違いない!)
私の隣に座った人は、とてもウケのいい人で、ずーっと、笑い通しでした。

「革新」をPRに掲げる山内陣営で繰り広げられる、日本の古い体質をそのまま残したようなさまざまな出来事に失笑しながらも、これが「日本の政治選挙」なのかと考えさせられました。特に、私が一番印象に残ったのは、思いがけず「政治家の妻」になるはめになってしまった山内さゆりさんの姿です。

山内夫妻は共稼ぎで、妻のさゆりさんは、夫の選挙のために、自分の仕事の有給休暇をとって応援します。さゆりさんもまた、政治の世界には無縁の女性で、たまたま自分の夫が選挙に出ただけの事なのに、彼女の人生も大きく変えられようとしていました。

「政治の世界では、『妻』のことを『妻』って呼んじゃいけないんだぜ。『家内』って呼ぶんだ」
はじめ驚きながら、妻に話す山内さんですが、この言葉が政治家の妻としての役割をすべて物語っているように思いました。

出陣式では、「どうぞ、『奥様』からたすきをかけてあげてください」と促され、言われるままに候補者名の入ったたすきを、『主人』である候補者の山内さんにかけるさゆりさん。

選挙カーでは、「山内和彦の『家内』でございます。どうぞ『主人』をよろしくおねがいいたします」とけなげに支える内助の功をアピールしなくていけません。

講演会場では、まだ子どものいない夫妻に対し、「少子化対策に『奥さん』には子どもを産んでもらわないかん」とプライベートなことにまで触れられてしまいます。

あるとき、さゆりさんは、子どもを持たず、仕事を続ける彼女の生き方に対して、選挙陣営の人たちからいろいろといわれたりすることに我慢できなくなり、夫にぶちまけます。

「わたしの人権は、どうなるのよ!」

わたしは、この場面でおもわず拍手!!!していました。
そういうさゆりさんに「頼むから、黙って聞き流してくれ。せめて選挙が終わるまで」と山内さんは、辛そうに頼みます。大きな組織の中で、個人の意見や気持ちなどは後回しにしなくてはならない山内さんの心境はどんな思いだったのでしょう。

映画は、僅差ながら勝利を収め「ばいざい」を繰り返す山内さんたち事務所の風景に、
またもや場内爆笑で終わりました。

この映画は、日本では6月に全国で上映されるそうです。

ちなみに、この山内さんは今年4月の統一地方選挙では立候補していません。なぜか?
詳しい内容は、中日新聞のホームページ「特集・連載の<自治をつかむ>(中)市民派の埋没」で読むことができます。関心のある方は、どうぞ。
http://www.chunichi.co.jp/ee/feature/chihosen07/070328T1139.html
(伊藤静香)
| カナダ日記 | 10:49 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記61
トロントは、「トロント国際映画祭」を初め、「ショートフィルム映画祭」「カナダ国際ドキュメンタリー映画祭(通称HOT DOCS)」など、フィルムのイベントが多くあります。
これらの映画祭の醍醐味は、話題になる前のものが、ロードショーに先駆けて見られるということ。特に、自分の見た映画が、その後日本で大人気となったりしたら、もう大いばりだもんね。(もちろん、日本語上映のものについてだけですが・・・)

たとえば、昨年世界中で話題になった(日本ではそれほどなっていないのが疑問)「横田めぐみストーリー」は「HOT DOCS」で見ましたし、最近日本でフラダンスブームを巻き起こしそうな「フラガール」は、この秋「トロント国際映画祭」で見ました。

さて、今週はちょうどその「HOT DOCS」が開催されていて、昨日「Wing of Defeat」を見てきました。
「Wing of Defeat」は、日本の「神風特攻隊」を描いたドキュメンタリーです。
監督であり、プロジューサーでもある日系アメリカ人のRisa Morimotoさんのおじさんは、「神風特攻隊員」の生存者でした。
アメリカで育ちアメリカ人として生きるRisaさんが、アメリカ人の抱く「神風」のイメージと、日本人の抱くイメージが違うことに関心を持ち、彼女のおじさんが何故、特攻隊員になったのかを探りに日本を訪れるところから、映画は始まります。
すでに亡くなっているおじさんに代わって、Risaさんは4人の特攻隊員の生存者を訪ね、当時の話を聞きます。

Risaさんのおじさん同様4人の方々は、自分が特攻隊員だったことを今まで誰にも話さなかったといいます。重い口を開いて語ってくださった彼らの話の中に、今まで誰にも告げなかったそのときの心情が吐露されています。話の中に重なるように織り込まれた第2時世界大戦中の映像は、決して戦争や「神風」を美化したものではなく、「戦争は狂気である」というメッセージを発しているように思いました。

生存者の一人は、訓練で日本上空を飛び、すでに焼け野原になっている日本を目のあたりし、飛行機に装備された高性能のラジオから聞こえてくるアメリカ艦隊向けのアメリカラジオ放送を聴き、日本はすでに勝ち目がないことを知っていたそうです。それでも、なお「命令」によって、自分の命を差し出さなければならない彼らの苦しみは、想像を絶するものだったと思います。
よく、日本の戦争映画で勇ましい「神風特攻隊員」が「天皇陛下ばんざい」といって、激突するシーンが描かれたりしますが、このドキュメンタリーに登場する隊員たちにそのような勇ましさは感じられません。
ごく当たり前に、人間として「生きたい」と思うその気持ちを持っていながら、死と向かい合わなければならない姿に彼らの苦悩を感じ、痛ましさや、無念さ、腹立たしさ、いろんな思いがわたしの胸の中にふつふつと湧きあがってきました。

「人間にとって戦争は罪悪です」「今世界で起きているいろいろな問題を、戦ではない方法で解決できるように、私たちは知恵を絞らなくてはいけません」
戦争の狂気の中で生き、その恐ろしさを知っている人だからこそ、この言葉には非常に重い意味を感じます。

戦争は、絶対美化されるものであってはいけないと思います。真実を描いたこのドキュメンタリー映画こそ、多くの人に見てもらいたいです。日米で、世界中で、大きな話題となることを願っています。

ところで、金曜日は「Campaign」を見に行く予定。報告をご期待ください!
(伊藤静香)
| カナダ日記 | 23:19 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP