参画堂日記

わたしをつくる、仕事をつくる、社会をつくる。
NPO法人参画プラネット オフィシャルブログ

CALENDAR
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
  • 虹色日記352:男女共同参画奨励賞を受賞しました
    深井希代 (10/10)
  • さざ波日記:428_NPOのチカラ2013―それは、「女縁」からはじまった!
    のりこ (04/06)
  • さざ波日記:428_NPOのチカラ2013―それは、「女縁」からはじまった!
    手しごと屋 (04/04)
  • 流れ星日記1012:『隣る人』レビューです。
    なつこ (11/24)
  • 流れ星日記1012:『隣る人』レビューです。
    masayo akasi (08/11)
  • さざ波日記:404_「違いを共に生きる」講義(愛知淑徳大学にて)から
    的場かおり (07/04)
  • 流れ星日記999:お礼、そしてこれからも。
    yukiko (06/24)
  • 虹色日記331:Cinemaな日@『別離』
    なつこ (06/03)
  • 流れ星日記969:「レジリエンス☆こころのケア講座」ファシリテーター養成講座へ
    なつこ (03/11)
  • 流れ星日記969:「レジリエンス☆こころのケア講座」ファシリテーター養成講座へ
    こんちゃん★ (03/10)
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS
無料ブログ作成サービス JUGEM
冥王星日記13
生活者の視点で考える防災・災害復興(12

2004年に入り、消防署・区役所の防災への取り組みを感じ始めた。
その1つが、学区ごとの自治会への防災講座であった。自治会(町内)から10名程度のメンバーを募り、地震発生時の「自主防災組織」のシュミレーション・ワークショップを行った。イントロダクションではあったが、「自主防災組織」の役割についての説明を受けた。
 私も参加し、町内の人と初めて防災の取り組みについて話をすることは意義あるものだと思った。「自主防災組織」というものの存在を知ったことも意味があった。
が、しかし、しかしだ!
実際は、「自主防災組織」のそれぞれの担当は、誰に決まっているのか、周知もない。
「自主防災組織」の長はもちろん自治会長だが、2年交代の体制で、その度に「自主防災組織」の見直しが必要であるが、果たしてどうなっているのか?
行政は、しきりと自助・共助を強調し、自主的に運営してほしいというが、自治会長のリーダーシップが問われる。
また住民の自主性は?自立度は?
不確かな中で、きっかけはつくったから、これを機に住民の自立と主体性を考えてほしいというところなのか。
現実は、自治会の防災というと、バケツはいくつ用意したとか、ヘルメットを買ったとか、そういう程度の話で盛り上がってしまう。
想像力が必要なのか。
そういう私も、どのポジションで関わるべきか悩むところである。

阪神淡路大震災から9年後のこの年は、防災は“ひとごと”になってきたのであろうか。東海地震がくるくると言いつつも、なんだか危機感が感じられない。
しかし、しかし、地震国日本であることを忘れてはいけない。
初めの1歩は、町内の人と地震が起きた時の話を日常の中ですることなのかもしてない。
話の中で、高齢者の対応や赤ちゃんがいる世帯などの具体的な話が出てくる。
「井戸端会議」も話の内容によっては見直すところはあるのかもしれない。

 2004年12月23日、新潟中越地震が発生!
(明石雅世)
| 冥王星日記 | 21:19 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
冥王星日記12
生活者の視点で考える防災・災害復興(11)

 東区生涯学習センター主催講座「親子防災講座〜めざせ!災害ボランティア〜」に参加した後、私はこのことをみんなに広めなければと漠然と思っていた。
 そこで、子ども会の育成会長をしていたこともあり、町内の子ども会で少し話をした。
「今、東海大地震が発生すると言うけれど、知ってる?」
「家は壊れるほどの大地震なのかな?」
「何を準備しておいたらいいか、わかる?」
「避難所へ行くのかな?」
「こどもたちとも一緒に考えた方がいいよ」と。

ちょうど、名古屋市の出前講座があったので、「防災講座」に申し込みをした。自分の住んでいる町がどうなるのか、自分たちの避難所はどうなのか、という具体的なことが知りたいとお願いしたら、東区の消防署を紹介していただいた。
東消防署と区役所の災害係の担当者と打ち合わせをし、2時間、子どもとともに身近な防災を考える場を提供していただけた。せっかくなので、町内の人にもチラシを配り参加の呼びかけをしたのだが、自治会長さんだけが参加してくれた。
子どもとのQ&Aから始まった講座は、私たちの町の中での災害を想定した内容になり子どもも興味深く聞いていた。また、保護者からも、「避難所になる小学校には何人収容できるのか?」「どのタイミングで避難するのか?」「配給はどのように配られるのか?」など具体的な質問が飛び出した。
地震がきた後、困ることをいろいろ想像して、どうしたらいいのかを家族と話し合うことが大切であり、被災者となるかもしれない職員が出てくる中、その場にならないと予想がつかないこともあるため、自助・共助で乗り切ることも考えてほしいという話で締めくくった。また、家具の転倒防止の器具の紹介などを行った。
恥ずかしながら、防災といえば消防署が管轄と思っていたが、災害に備えての窓口は行政である区役所であるため災害係が設置されていることをこのとき初め知った。そして、その担当者と顔見知りになることは非常に大切なことだと感じた。
その後も、防災関係の講座や、区役所で担当者と会うことがあり、情報交換をしている。

 さて、この日記を書いていたら、ゆらゆらときた。すくにニュース速報で地震情報が流れた。震源地は能登半島沖でM6.9.震度6強の地震が石川県を襲った。一瞬阪神淡路大震災を思い出した。
 本当に、いつ来るか分からない地震。家具の転倒防止をしなくては!!
(明石雅世)
| 冥王星日記 | 12:15 | comments(4) | - | - | - | ↑PAGE TOP
冥王星日記11
生活者の視点で考える防災・災害復興(10)

2003年、東海地震発生を想定して、私が災害・防災の講座に参加し始めた年である。

その年の秋、東区生涯学習センター主催講座「親子防災講座〜めざせ!災害ボランティア〜」に子どもとともに参加した。 
 ̄撚茵屮泪哀縫船紂璽鼻廖1997年)鑑賞
∨漂劵札鵐拭爾任留貘慮
消防署での消火体験とはしご車の試乗
ぬ祇機を使った地域探検
ゥ▲襯侫 縞討了鄂        
などの講座を受講した。

 映画「マグニチュード」は、大地震を背景に、消防隊員の父(田中邦衛)と主人公(緒形直人)の葛藤と絆を描いた話だが、いきなり大地震が起こりその直後にガス漏れの爆発で主人公のお母さんが亡くなるという場面があり、改めて大震災の怖さを感じた。子どもも大変怖かったようで寝る前少しべそをかいていた。(恐怖心を植えつけてしまったかな。)

防災センターでの煙体験は、実は2度だったのだが、バージョンアップしていてその中は真っ暗状態で本当に何も見えなかった。通路の途中にはドアがあるし、出口に行かなければならなかったのだが、やっとの思いで外に出たら入り口に戻っていた。(冷や汗)
中では、子ども2人(小学生3年と中1の娘)の手を引いて、小さい方は「怖い、怖い、何にも見えない!」と叫ぶし、上とは行く方向の意見がぶつかるし、結構パニックってしまった。
真っ暗なところで手を離したら子どもが混乱してしまう。声を掛け合っても、方向と距離感がつかめない。で、焦りと不安で入り口にたどり着いてしまった。
右なら右、左なら左の壁づたいに行くといいとアドバイスをいただいたが、本当に、こんな場面に遭遇したら、まず子どもの恐怖心を解くことが必要で、そのためにも、まず自分が落ち着ついて行動をとらないといけないことを実感した。
真っ暗で顔が見えない状態の中で、子どもが混乱して泣き叫んでしまうと、親もつい大きな声を出してしまう。もっと小さい子どもさんの場合は、親の冷静さがまず大事なんだということを知っておいてもらいたい。

消防署での消火体験は、実際に子どもたちが消防服を着て放水し火を消す体験をした。また、自家用の消火器の扱い方も教えてもらった。確かに持っていてもいざという時に使えないでは困る。
また、はしご車にも試乗した。20メートル程昇った。大体5,6階程度の高さだろうか。その高さから見る眺めは素敵であったが、迫り来る煙と火を背後に、6階の窓からはしご車に乗り移る。そんなことを想像したら足がすくんでしまった。

無線機を使用した地域探検は、子どもが喜んでいた。が、いざ無線機を使用してみると、相手の呼吸とがかみ合わない。「どうぞ」といって話をする。そのもどかしさが慣れていないと何を話しているかがわからない。まず、子どもが使うことはないのだが、無線機をうまく活用することができたら情報の収集に一役買うのだろう。また、体験しながら、公衆電話の場所や貯水池、消火栓、送水口などを探した。

最後は、アルファー米(五目ご飯)の紹介であった。
お湯または水を注ぎ時間を置くだけで、おいしいご飯がいただけるという代物であった。缶のご飯と食べ比べたが数段おいしかった。

お土産に、乾パンをいただいたが、「参加人数より少ない乾パンはさあどう分ける?」という問題が出された。行政は人数分ないと公平性に欠けるという理由で配給しない。そこに物資があってもだ。
子どもたちからはいろんな回答があった。
どれが正解ということではない。そこにいる人たちがそれそれの立場(たとえば子ども、老人、病気、ハンデがあるか)を尊重し、数の公平でなく心の公平を考えて分けることが大切なんだよ。という講師の言葉で締めくくった。

数日後、アルファー米(白米、五目ごはん,山菜おこわ、わかめご飯など)を30袋ほど購入した。(明石雅世)

2003年9月 北海道十勝沖地震(明石雅世)
| 冥王星日記 | 01:33 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
冥王星日記10
生活者の視点で考える防災・災害復興(9)

2002年.
この頃から、少しずつ東海地方に大地震がくるかもしれないといううわさを耳にする。
阪神淡路大震災から7年たっていた。

この年、東別院フォーラム女性の講座に、参画プラネットが主催した「防災・災害復興フォーラム」の講師で阪神淡路大震災の被災者でもある石井布紀子さんに来ていただいた。
生き埋めになった石井さんは、30分かけて自力で脱出した。というまことにリアル話から始まった。
石井さんは塾を開設していたので、その塾をボランティアの連絡拠点として提供し、自らが電話番となり、忙しさを忘れてしまう程の忙しさが3年続いたと話された。
トイレに行ったか行かないかも解らない程の忙しさであったと言う。
「よく倒れませんでしたね。何か体調管理をされていたのですか?」という質問に、「気がついたら3年経っていた。とにかくやることが多すぎて倒れることすら忘れていたのかもしれない」と笑顔で答えてくれた石井さんは、未だに忙しく全国を飛び回り活動している。

「忙しい」とは「心」が「亡くなる」と書く。
また、偏を下に持ってくると「忘」という字になる。
人は,忙しいと、自分の心、気持ちを忘れてしまうのかもしれない。

私の母にもこんな時期があった。本当に母には感謝している。
母の立場からいえば、夫を亡くした娘と父親を亡くした孫2人(それも生まれたての赤ちゃんと3歳児。)、癌を抱えた夫〔私からいうと父〕、しかもこの夫は、毎週3回インターフェロンという抗がん剤の注射を打つので、気が滅入っているのだ。
この最悪の状態で、母まで弱音が吐けなったようである。
というよりも、3度のご飯と洗濯、掃除、自営の印刷業の仕事をこなすことで1日が過ぎてしまったようだ。
私は・・・子どもと笑顔で過ごすことだけで精一杯であった。やはり母に甘えていた。
だから、母がいてくれたおかげで、精神的にも肉体的にも支えられたと思っている。
血液の数値が低かった母は、かえって元気になったと喜んでいる。
未だに、「私がいなくては、この家は回っていかない」という大きな自負を持っている。

しかし、こういう人ばかりではないということを忘れてはいけない。
実際、被災のケースだけでなく、何らかの事情で今までどおりの生活が送れなくなった時、人はどういう行動をとるのか。とれるのか。
日常の暮らし方、生き方に左右されるのではないかと思う。

この年から、少しずつ防災・災害復興の言葉を耳にし、講座なども目にするのであった。(明石雅世)
| 冥王星日記 | 23:08 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
冥王星日記9
生活者の視点で考える防災・災害復興(8)

人は死んだらどこに行くのだろう。
夫は幸せだったんだろうか。 
いつもいつも考えていた。

先回「千の風になって」を紹介し、夫も父も友人も愛する人たちのそばにいてくれる。と、書いたが、その気持ちに至るまでには、つまり死を受入れるまでには時間が必要だっだ。

名古屋市に東別院というところがあって、フォーラム女性という学習の場があり、毎月1回講座が設定されている。
呼びかけの文言が「どう生きる」。私はこの言葉に大変惹かれたのである。
初めは受講生の一人として参加していたのだが、“寺”にも惹かれて講座企画運営のボランティアスタッフになり、今年で9年目に入った。

「どう生きる」。  
「なぜ生きる?」ではなく「どう生きる」。
子どもの頃、死ぬのが怖くて寝る前に布団の中で泣いていたことを思い出す。
今は、私が死んでも愛する夫も父も待っていてくれるかと思うとそんなに死に対して恐怖心はない。
しかし、しかし、子ども2人を置いて死ぬことは、死んでも死に切れないと思っている。
遺された者の悲しみ、寂しさ、つらさ、愛する人を亡くした喪失感は十分すぎる程解っているからだ。

人は生活に行き詰ったり、苦労したり、面白くない時、必ず「人はなぜ生きているのだろう?」「私は何のために生まれてきたのだろう?」と嘆いてしまう。
そうではないのだ。「なぜ生きる?」と考えるから、自分の生きる意味を見出そうとしてしまう。
病気をしたり、障がいを持ったり、ハンデがあっても、今の自分を、ありのままの自分を受入れ、「私はこれから幸せになるためにどう生きていこうか。」と考えることが大事なのである。

テロで犠牲になった人たち、
阪神淡路大震災の犠牲者の人たち、
世界中で戦争や飢餓や災害で亡くなった人たち、
病気や事故で亡くなった人たち、
他人の手で命を奪われた人たち、
「生きよう」「生きていたい」という自分の意志が叶わなかった人たちがたくさんいる。

いまさら言うまでのことではないが、命は、あなたの命は1つだけ。
そして、命はあなただけのものではない。
あなたの命が亡くなったとき、愛する人たちが途方にくれて悲しくて悲しくてどうしようもなくなる。
与えられた命を生きていこうではないか。
人は、いつか寿命がきて死ぬ。
この寿命は厄介で、早すぎる人もいれば、長生きする人もいる。
自分の死が来るまで生きることが大切なのだ。
ただし、突然襲ってくるから厄介なのだが・・・。

してはいけないことは、自分で自分の命を終わらすこと。
そして、誰も人の命を奪う権利などないということ。(明石雅世)


2001年1月エルサルバドル、インド西部で大地震発生
   3月芸予地震発生

※東別院:真宗大谷派(東本願寺)名古屋別院。元禄3(1690)年、尾張の地に本願念仏のみ教えを伝える道場として、一如上人(東本願寺第16代)によって開かれた真宗大谷派の寺院。
| 冥王星日記 | 00:42 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
冥王星日記8
生活者の視点で考える防災・災害復興(7)

 2001年は、世界中が驚く出来事があった。
東海豪雨から丸1年後の、9月11日、米国同時多発テロが起こった。
世界貿易センターに旅客機が追突するという大変ショッキングな惨事だった。
愛する人との別れが、たくさんあったと思う。

私の30代は、夫、父、友人と、愛する人との死と向き合うことで歳を重ねてきたように思う。
夫が亡くなって、長女が幼稚園に通いだした頃、少しべそをかいて不安そうな長女に、
「お星様になったお父さんが、昼間、あなたの幼稚園の花壇の、あのチューリップになって見ているよ。」
「机になって、いつもいつもあなたのそばにいるんだよ。」
と、よく言っていた。
そして、小学校へ入学した時も、次女が幼稚園に入園した時も、
「お父さんとおじいちゃんが交代で2人を見に行ってるから、守ってくれてるから安心してていいよ。」と話していた。

私自身も、何かあるたびに、ぶつぶつと夫に声をかけていた。
人は、それを独り言というのだが。
面白くないときや、失敗をした時、「どう思う?」「頭きちゃうと思うでしょ。」と。
そしてその後決まって、
「まあいいか。あなたが亡くなったことに比べたら大したことないか。」と、自分で自分を慰める。
信号待ちや地下鉄の中、どこにいても話しかけてしまうのだ。
いつもそばにいてくれているという気がするのである。
だから、悪いことができないのだ。(悪いことって何でしょう?)

昨年の紅白で話題になった「千の風になって」を聴いた時、すごくうれしかった。
新井満さんの「千の風になって」も読んだ。
同時多発テロ1年後の追悼式で、父親を亡くした11歳の少女がこの詩を朗読したと書いてあった。そう愛する人は、愛する人のそばにいて見守ってくれる。
私も同じ。
私が死んだら、いつもいつも子どもや愛する人のそばにいて、見守っていてあげたい。

この詩が世界中に駆け巡って、世界中のたくさんの人が慰められ安心してほしい。
私の小さな願いである。(明石雅世)
| 冥王星日記 | 00:07 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
冥王星日記7
生活者の視点で考える防災・災害復興(6)

2000年9月11日12日と名古屋市とその周辺に大水害が襲った。
「東海豪雨」といわれ都市水害として大きな被害をもたらした。
幸いに、私が住む東区(割と中心部)は、大きな浸水もなく大事にはならなかったが、
バケツをひっくり返した大雨に、子どもたちの登下校には気をもんだ。
アスファルトの水はけは悪く、車は水しぶきを上げて走る。

翌日、仕事場では、「帰れた?」「大丈夫だった?」が挨拶代わりであった。
途中で車を止め、地下鉄で帰った人もいた。
地下鉄を降りたらひざまで水があったと少し興奮気味で話す人もいた。
しかし、名古屋市東南部の天白区あたりや北部とその周辺地区の被害はすさまじかった。
ニュースでも、水びだしの家屋に呆然とする人々の姿、ボートで救助される映像が映し出されていた。
また、中部地方太平洋側の広い範囲で浸水、崖崩れ、土石流などの災害が発生したと聞く。

その後、ボランティアの活躍も話題になった。
阪神淡路大震災の教訓を生かした民間組織のボランティアが動いたようだった。

1959年名古屋を直撃した伊勢湾台風以来の水害だった。
そして、都市水害の恐怖を実感させる大きな被害でもあった。
伊勢湾台風の時は、まだお腹の中にいた私だったが、
私が生まれてからこの名古屋には、幸いにも大きな災害がなかったということもあり、
災害の危険に対する私たちの感覚も麻痺していたように思う。
台風の恐怖は、雷の恐怖であり、窓ガラスをたたきつける風の恐怖であった。
しかし、大雨という恐怖を改めて実感した。
雪に対しても同じである。
都会に雪が降るとなぜか大喜びしてしまう私だが、
凍った道路を自転車で走ってしまう感覚。ヒールで歩いてしまう感覚。

自然と乖離した生活が、災害に対しての危機管理を希薄にさせてしまったのであろうか。
しかし、今度ばかりは都市であったからこその災害であった。

21世紀になって、この東海豪雨は、鈍感な私たちに警告を送っているのかもしれない。
自然と共存せず、なんでも「便利に」というおまじないで環境をかえっていった人間に対する警鐘を慣らしているのだ。(明石雅世)
| 冥王星日記 | 23:01 | comments(1) | - | - | - | ↑PAGE TOP
冥王星日記6
生活者の視点で考える防災・災害復興(5)

2000年6月30日、乳がんと向き合っていた友人が亡くなった。

その前の年の夏、短大卒業後20年ぶりに同窓会を開いた。
元気な彼女と仲のよかった友人6人で語り合った数時間。
千葉に、神戸に、滋賀に、筑波に、そして地元の私。
笑顔で「じゃあ、またね。」と、それぞれの家族の待つ場所へと帰っていった。

秋、彼女は転移した癌が見つかり、抗がん剤をうつことになった。
その後、葉書のやり取りをした。
彼女の叫びや弱音が書いてあるときは、どう答えていいのか迷った。
ただ、夫と死別した時の経験と私の気持ちを素直に彼女に伝えた。

年が明け、春になった。
彼女はとうとう入院することになった。
彼女のお見舞いに行くことをためらう友人。
遠い場所からわざわざ見舞いに行くことを彼女はどう受け止めるのだろう。
彼女は直る。絶対直る。そう信じたい私たちは、見舞いに行くとは・・・・・。
「もしかして・・・」「もしかして・・・」「もしかして・・・」
そんなことを考えたくなった。
でも、どこにも確信はないし、後悔もしたくない。
今、彼女に会わなかったら・・・。
そんな複雑な気持ちが友人にも、私にもあった。
口火を切ったのは私。
「こんな時、近くに住んでいたら会いに行くじゃない。そののりで行こうよ。」

6月に入って、5人の仲間が千葉に集合、見舞いに向かった。
たわいのない話、治ったら今度はいつ会おうか。
何故だかみんな笑顔の中に涙を浮かべて彼女の病室にいた。
握手をして別れた。病室を出た私たちは、涙をぬぐった。

その数日後、自宅に戻った彼女は、家族に看取られ静かに息を引き取った。
永遠の別れをまた体験した。2度と会うことのない別れ、愛する人を亡くした悲しみ。

しばらくして、彼女の娘たち(当時6年生と中1)に手紙を書いた。
周りの人は「強くなれ」って励ますかもしれない。
でも私は、
泣いていいよ。今が悲しくて当然なのだからいっぱい泣きなさい。
強くならなくていいよ。やさしい気持ちでいてね。
やさしさの中に、強さは芽生えるものだから。
と彼女たちに伝えた。

2000年
9月、東海豪雨
10月、鳥取西部に地震が発生。マグニチュード7.3。

(明石雅世)
| 冥王星日記 | 23:10 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
冥王星日記5
生活者の視点で考える防災・災害復興(4)

1999年、NPOの会員になり少しずつ行動範囲が広がっていった。
そして、30歳過ぎると、変わることなく人生は過ぎていかない現実にも向かい合っていた。
乳がんと向き合っている友人、被災者になった友人、
子どもを失った友人、夫を亡くした私・・・。
親と別れる年頃でもある。
だからこそ、
「40過ぎたら社会に還元」という言葉が合言葉であった。
何か役に立ちたいという気持ち持ちながら、
でも、何ができるのだろうかという確実性のない中で、
NPOに参画したり、学習したり、PTAや地域の子ども会に参加しながら、
何か見つかるだろうと思っていた。

この頃、小学校では9月の始業式に、災害を想定して子どもを引き取る行事(?)が始まった。
学校で引き取った後、
「あそこが危ない。」「ここ気をつけて。」
と、電柱や看板、自動販売機などをチェックしながら帰るのだ。
「公衆電話はここにある。」「子ども110番はあそこね。」
「雨風のひどいときは、歩道橋で傘をさすと危ないね。こうやって歩くといいね。」
なんて話は一緒に歩いてみて伝わるものだと思った。
災害時や、日常の危険箇所を確認しながら親子で歩くことって大切だ。
当たり前に通る道って、結構危険箇所を見逃している。
まじめにこの行事に取り組もう。

一緒に歩きながらもうひとつ気づいたことがあった。
車にも、人にも気をつけなくてはいけない今の子どもたち。
時々、道行く大人が、子どもたちに怪訝な顔をして通り過ぎていく。
「じゃまよ」って言わんばかりに眉間にしわよせて。
もっと暖かい眼差しで子どもを見てほしいな。

この年の8月トルコで、9月には台湾で大地震が発生した。(明石雅世)
| 冥王星日記 | 00:06 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
冥王星日記4
生活者の視点で考える防災・災害復興(3)

1998年、下の娘が幼稚園に入園したのを機に学習を始めた。
私が住んでいる区の生涯学習センターで女性セミナーを受講した。
内容は多岐に渡っていた。
「仕事」「育児」「自分表現」「コミュニケーション」「ネットワーク」「住環境」「環境問題」
「法律」「IT」「家族」「葬式・墓」「老後」「介護保険」「年金」「地域活動」「まちづくり」etc…
そしてそれぞれの中の「女性問題」を学習していった。
2001年まで通ったことを覚えている。

私は、社会の中で組織されている実態は、生活に直接結びついていること、
暮らしの中にこそ、さまざまな社会的問題を抱えており、
自分の問題が社会化されていいのだということを理解し実感した。
「暮らしは政治」
生活者である女性の声をもっと届けて、暮らしやすい社会につなげる必要性を感じた。

そして忘れられない出会いがあった。
参画プラネット代表の渋谷典子さんである。
その出会いが今に至っている。そして今の私がいる。

私の中ではまだ、「防災・災害復興」の学習は、始まってはいなかった。
あしなが育英会から送られてきた書籍「黒い虹−阪神大震災遺児たちの一年」(あしなが育英会・編)を読み、被災した人々・町に思いを馳せることしかできないでいた。
親を亡くした子どもたちのケアーが、いかに大事で大切か。
しかし、そのケアーや取り組みは、子どもすべてに必要なことだと感じた。
1997年に起きた神戸小学生連続殺傷事件後、子どもたちの犯罪がニュースで頻繁に流れるようになった。
少女たちのプチ家出や援交など、子どもたちを取り巻く環境がどんどん悪くなる。
本来子どもたちは、安心できる場所や安心できる人がそばにいて育っていくのだと思う。
大人がしっかりしなくてはだめ。大人が環境をつくっているのだから。

翌年の1999年、あしなが育英会にレインボーハウスが完成した。(明石雅世)
| 冥王星日記 | 01:40 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP