参画堂日記

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カナダ日記71
やっと「赤毛のアン・シリーズ」を読破しました!(日本語で)

私が初めて「赤毛のアン」を読んだのは、遥か昔の小学生の頃(30数年前!)
赤毛をからかったギルバートの頭を石版でぶったアンに「なんてかっこいい女の子なの!」感激し、「アン」は私の憧れの存在となりました。

その後、学生時代にアン・シリーズ10巻をそろえたものの、途中で何度も挫折し、私の読書リストからはずされました。
最後には、10巻揃って友人に貸し出したまま返却されず、アン・シリーズを読み通すことはなくなりました。(「赤毛のアン」として有名な1巻は何度も読み返しているのですけどね)
けれど、小さい頃に衝撃とも言えるほどに私の心に刻み込まれた「アン」の想像力の豊かさ、自分に正直な生き方は、大人になっても忘れることができず、いつまでも私の憧れであることは変わりありませんでした。

カナダに住むことが決まった時、最初に思ったのが「アンの国に住める」ということでした。私のカナダのイメージは、「赤毛のアン」の中で語られる、自然豊かな広大な土地、点在する小さな家々、のんびりと草を食む牛たちの姿です。(それなのに、ああ・・・、実際住んでいるトロントは、そのイメージと、なんとかけ離れていることでしょう!)
カナダで「赤毛のアン」をもう一度読み返そうと、「アン・シリーズ10巻」を再び購入し、持参してきたのです。

ちなみに、カナダで出版されている「アンブックス」は8巻で、日本とは編成が異なります。日本で出版されている村岡花子さん訳の「アン・シリーズ10巻」には、アンが主人公になっていない第4巻「アンの友だち」と第8巻「アンをめぐる人たち」が番外編として挿入されています。このためアンが成長していく様子が順に描かれているシリーズに水を指す形になっている様な気がします。
私がいつも挫折をしていたのは、たぶんこのせいでしょう。
特に第4巻は、大人になったアンが、紆余曲折を経て、ギルバートとの本当の愛に目覚め、今後の展開を大いに期待したところに、「番外編」があるため、私は一気に読み進めないフラストレーションがたまりました。
今回も我慢して読み進めましたが、とうとう断念、途中を飛ばしてしまいました。(笑)

さて、カナダに住みながら「アン・シリーズ」を読む醍醐味は、何と言っても、モンゴメリの豊かな表現力で描写される季節の移ろいが実際に見られることと、気候の変化を感じられることです。本の中に登場するカナダの家の様子や風景、日本ではあまり見かけないお墓(アンはお墓が大好きなのです)などもこの目でみることもできます。

私の住むトロントでは、壮大なカナダの自然にお目にかかることは難しいですが、ちょっと郊外に行けば、まだまだアンの世界のイメージを膨らませるのに充分な自然と景色に出会うことができます。
花々がいっせいに咲き乱れるカナダの春が、一瞬にして通りすぎると、木々の緑は一気に濃く青々と茂り、真っ青な空からまばゆいばかりの夏の日差しが降り注がれます。ちょうど今はそんな時。短い夏をアンが惜しむように楽しんだ気持ちがよくわかります。

ところで、全体にわたって人間味あふれる日常の生活が描写されているアン・シリーズですが、最後の10巻「アンの娘リラ」は、少し趣が違います。この10巻は、とくに私が心動かされた巻です。1914年に第一次世界大戦が始まってから終わるまでの4年間が舞台になっています。

第一次世界大戦は、日本人にとってはなじみの薄い戦争ですが、カナダ人にとっては、第一次世界大戦の終戦日が「リメンバランスデイ」と制定されているほど、深く歴史に刻まれた戦いです。生まれて間もないカナダの国が「国」として闘い、非常に多くの若い命を犠牲にした第一次世界大戦がカナダ人にとって忘れることのできない大きな出来事であったことが10巻を読んで理解できました。

おりしも、先月、フランスにある「ビミーリッヂ」でイギリス、フランス、カナダの国の人々が集まって、盛大な式典が催されました。これは、当時イギリスから独立し、建国まもないカナダがイギリスの援護として第一次世界大戦に参戦し「ビミーリッヂの戦い」で大いなる功績をあげたことを記念する90周年の式典でした。フランスの「ビミーリッヂ」には、戦いでなくなった戦士たちを祀る「ビミーリッヂ・モニュメント」が建立されていますが、このモニュメント付近一帯は公園となっており、フランスからカナダ市民に贈与されたものだそうです。(このビミーリッヂの戦いも本に登場します)

10巻「アンの娘リラ」で登場する15歳に成長したアンの末娘リラの青春は、明るく輝くような「アンの青春(第2巻)」と対照的に、暗く苦悩に満ちたものです。

刻一刻と戦況が悪化する中、子どもたちの歓声と笑顔であふれていたアンの家からは笑いが消えます。次々と戦場に送られる息子たち。残された女性たちは、贅沢をつつしみ、寄付を募り、慰問の品々を作り、戦場で戦う戦士たちを支えるべく献身的に働きます。戦争で翻弄される人々の些細な日常の様子をユーモア交えて描いていますが、暗く重苦しい戦争の現実から目を離さない描写には、モンゴメリの戦争に対する強い怒りのメッセージを感じます。

戦争が終わり傷を負って帰還したアンの息子ジェムの言葉が印象的です。
「『われわれは新しい世界にいるのだ』とジェムは言う。『それをわれわれはもとの世界よりもっとよいものにしなければいけない。それはこれからすることだ。もうすんだと思っている人もいるらしい。仕事は終わっていない―本当は始まってもいないのだ。・・・僕は戦争というものを十分見てきたから、戦争など起り得ない世界をつくらなくてはならないことがわかった。・・・』(「アンの娘リラ」新潮文庫より)」
モンゴメリは、登場する人たちの言葉を借りて、戦時下において人々の意識が次第に扇動されていく異様な世界、戦場で戦う兵士たちの恐怖、残されたものたちの苦悩や悲しみなど、戦争の愚かしさを訴えます。

モンゴメリが「アンの娘リラ」を書いたのが1921年。「二度と戦争のない世界に」と願う彼女の気持ちとは裏腹に、その後、第二次世界大戦が勃発し、90年近く経った今でも世界のどこかで戦争が起こっています。そして、「戦争放棄」をした日本では、改憲へ動き出し、私は再び戦争への道へひた走るのではないかという不安がぬぐいきれません。

今改めてこの10巻を読みながら、なぜ人間はいつまでも同じ過ちを犯し、争い続けるのか、やり場のない怒りに震えます。
「みんなが武器を捨てて、戦争のない世界に」という私に、「そんなのは、理想だ」と言い放った日本人男性がいました。確かに理想かもしれません。現実を見極めることも大切だと思います。けれど、理想を持たない世界に将来があるのでしょうか。

1908年に「赤毛のアン」が書かれてから、1921年に「アンの娘リラ」で終結するまで13年間。当時の読者はきっと、アンと同じように年を重ね、自分の人生とクロスさせながらこのシリーズを読んだことでしょう。
私もこのシリーズを順に読みながら、今まで歩んできた自分の人生と照らし合わせ、過ぎ去った日々に思いをはせました。

ただひとつ、残念なことは、私が未だに「アン・シリーズ」を原作で読むだけの英語力を持たないことです。村岡さん訳の日本語を読みながら、英語ではどう表現されているのだろうかと関心をもつこともしばしば。
今度は、ぜひ原作本にチャレンジしてみたいです。
(伊藤静香)

アンの娘リラ―第十赤毛のアン
アンの娘リラ―第十赤毛のアン
モンゴメリ, 村岡 花子, Lucy Maud Montgomery
| カナダ日記 | 23:07 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
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