参画堂日記

わたしをつくる、仕事をつくる、社会をつくる。
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カナダ日記80
日本に帰国して、あれよあれよという間に2週間が過ぎました。
久しぶりの蒸し暑い名古屋の夏に体がびっくりしています。
じっとしているだけで玉のような汗が出るなんてこと、しばらく忘れていました(笑)。

昨日は海外引越しの船便も届き、2年ぶりの我が家での生活もようやく通常の生活リズムが刻めるようになって来ました。

先週、仕事場にも復帰。
しばらくは、事務所で業務の引継ぎを受けながら、
平行してカナダでやっていた在宅ワーク業務も自宅で行う複合勤務です。
このようなフレキシブルな勤務形態が取れるのは、NPOならではかもしれません。

さて、ひさしぶりに再会した参画プラネットのメンバーたちは、2年の月日を感じさせないほど以前と変わりなくわたしを迎えてくれました。
わたしも、カナダに行っていたことが夢であって、前日までずっとみんなと一緒に日本にいたような錯覚に陥りました。

とはいうものの、実際にはわたしの知らないこと、以前と変わっていることがいくつかあります。そういうものに触れたときには、やはり、自分が現場に不在だったことを思い知らされてどうしようもない孤独感を感じることもあります。

でも、この「変化」は、確実に「進化」している証拠。
むしろ以前と何一つ変わらない参画プラネットだったら、魅力が半減してしまいます。

常に前進し続ける刺激的な現場に戻って、わたしのアドレナリンも急上昇!
さあ〜て、いっちょ、やったるがね〜!
気持ちのよい疲れを感じながら、帰路についたわたしでした。

・・・・・・

と、いうわけで、今までカナダからお届けいたしておりました「カナダ日記」は、
今回をもって最終回といたします。
今までお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
次回からは「虹色日記」を執筆する予定です。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
(伊藤静香)
| カナダ日記 | 23:13 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記79
今、この文章をバンクーバーから日本に向かう飛行機の中で書いています。
わたしの乗ったエアカナダ便の飛行機は、新しくて快適。今まで乗った飛行機の中でも最新設備を備えています!

エコノミークラスでも「個人用液晶画面」が設置された航空機は何度か利用したことがありますが、AC電源まである機種に乗ったのは始めて。電源を確保できて、このようにパソコンを開くことができるんですねえ。最近、飛行機燃料の値上がりの影響で航空チケットが高くなり、荷物の重量制限も厳しくなって、サービスの低下が続く航空業界でひさびさに感激の環境です!

昨日は、カナダで過ごす最後の夜「いよいよ最後なんだなあ」としみじみ思いました。と、同時に、2年前のことが昨日のことのように思い出され、トロントで過ごした日々が浮かんできます。

身を切られるような思いで仕事先のNPO室を後にした日。夫と娘が新しい生活になじんでいくのに、一人取り残されたように孤独だった最初の数ヶ月間。メールで何度となく励ましてくれた日本の友人、仲間たち。「わたしはカナダなんかに来たくなかった」と何度も愚痴を言い夫を困らせた最初の半年間。JSS(ジャパニーズソーシャルサービス)との出会いで、カナダでも社会活動ができると心躍った日!
半年がすぎ、わたしのカナダ生活もだんだんと希望を持って楽しめるようになっていきました。在宅ワークが軌道にのり、論文にも挑戦。1年後、娘が帰国を決断したとき、わたしは残る決心をしました。それでも、16年間片時も離れたことのない自分の分身のような娘との別れは体の一部が無くなってしまったような空虚感を感じました。「寂しさは、新しい出会いの始まり」と仲間に励まされ、通いだしたESL英語学校。まさに、新しい出会いがありました。

2年目のカナダ生活は、自分の目的を持ってわたしが選んだ生活でした。平日は、在宅ワークをしながら、ESLに通い、休日は夫と旅行やトレッキングを楽しむ生活が定番となりました。トロント参画研究会で出会ったトロントの仲間たちとのネットワークもでき、「Girls’ Night」と称して、Theaterにいったり、食事に行ったり、夜遊び(?)も。
やっと、トロントが「自分の住んでいる場所」と感じ始めた今、帰国のときが来たのです。日本を経つとき、「2年も日本を離れるのか」と絶望的な気分だったのに、今では「2年は短い」というのが、わたしの本音です。
マルティカルチャルなトロントは、日本のように「みんな同じ」という規範はなく、自分を非常に大切にできるところです。そういう意味では、人の目が気になってしまうわたしにとって、トロントは暮らしやすい街です。言葉の壁は、つねに生活に緊張感をもたらして、ゆったりとできなかったことも事実ですが、だからこそ、今のまま中途半端で終わらず、もう少し英語のコミュニケーション力をつけたかったとも思うのです。

そうはいっても、日本に帰れることは、本当にうれしいことです。仮住まいではなく、自分の本当の家に今度こそじっくりと腰を落ち着けて住むことができるのです。1年間、離れ離れだった娘とも再び一緒に暮らせます。
そして、何よりあんなに悔しい思いをしてあきらめたNPOの現場に戻れるのです。こんなにうれしいことはありません。でも実は、すご〜く不安でたまらないのです。2年間のブランクをどのようにして埋めていこうか、のほほんと海外で暮らしていたわたしが、以前のようにめまぐるしい速さで駆け抜けていくような活動ができるのでろうか、と思うと、復帰の不安は決して小さくありません。

この不安な気持ちは、再チャレンジする女性たちが再び社会に戻るときに感じる不安と同じかもしれません。と、いうことは、再チャレンジ支援を目標重点の一つに上げている参画プラネットですから、わたしが不安を感じないように働ける環境を自分自身で確かめるチャンスでもあるんですね!

なにはともあれ、あと数時間で日本に着きます!
なつかしの日本「ただいま〜!」
(伊藤静香)
| カナダ日記 | 13:08 | comments(3) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記78
2年間暮らしたトロントに別れを告げ、帰国便のストップオーバーを利用してバンクーバーに来ています。
世界一住みやすい都市といわれているバンクーバーは、トロントニアンにとっても、リタイア後に住みたい理想の街だそうです。
山と海に囲まれたバンクーバーは、日本の地形によく似ています。冬暖かく夏涼しいとのことですが、あいにくわたしたちが滞在している間は、ずっと雨。まるで日本の梅雨のようです。
バンクーバーからレンタカーを借りて、「ウイスラー」という高原リゾートに滞在した2日間も、降り続く雨で山に登ることもできず、ウインドーショッピングとホテルでゆっくり骨休みとなりました。
ちょうど21日は、「ハリーポッター」の発売日。日本でも報道されていたと思いますが、原作本の最終章の発売に、カナダの若者、子どもたちの熱狂振りがここ数日話題になっていました。私たちが滞在したウイスラービレッジにある書店でも、「ハリーポッター」の最終章発売のイベントが21日深夜0時からあり、わたしは買う予定もないけれど、好奇心からちょっとのぞきに。書店のウインドウ越しに見えたのは、深夜というのに「ハリーポッター」の7巻を予約した人達の長蛇の列。さすがにここでは、コスチュームをつけた購入者はいませんでしたが、お店の定員は「ハリーポッター」にちなんだ衣装をつけて、気分を盛り上げていました。こういうところカナディアンにしても、アメリカンにしてもノリがよいのですよね。

恨めしい雨空を眺めながらウイスラーを後にし、バンクーバーに戻ってきましたが、ここでも雨。わたしがぜひ訪れたかったBC州の州都ヴィクトリア市も雨の中の訪問となりました。ビクトリアは、イギリスの雰囲気を残す美しい都市といわれています。バンクーバーからフェリーに乗って1時間半。19世紀のイギリス風の建築と花々が美しい街ビクトリア。ちょうど今は、バラの季節。本当なら咲き誇る花々に感嘆をもらすところでしょうが、長雨で花たちも少し痛み気味。雨でしっとりと落ち着いた街並みもなかなかすてきですが、明るい日差しの中の景色も見たかったな。
バンクーバーは、トロントに比べるとたくさんの日本人観光客がいるのでしょう。いたるところで、日本語を耳にしました。みやげ物売り場にも日本語を話せる人がいたりして、日本語で話しかけられてびっくりします。日本語で話してもいいの、かな?って、変に緊張したりして(笑)。

さて、ウイスラー、ビクトリアと日本人になじみの深い観光地を訪れて、いよいよ、カナダを後にします。
(伊藤静香)
| カナダ日記 | 13:01 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記77
このコンド(マンション)で一日過ごすのも今日が最後。
明日には、部屋を引き渡すことになっています。

仮住まいとはいえ、2年間住んだ家、少しは感傷的になるかと思っていましたが、
この一週間、引越し作業に疲労度も極限に達し、さびしさよりも、「やれやれ・・・」といった気持ちの方が大きいのです。

本棚、勉強机、チェストなどの家具のほか、TV、ビデオ、電子レンジなどの電化製品を引き取ってくれる友人たちと共にわたしの愛車「マトリックス」に積み込み、友人宅まで何度も運ぶのは、結構大変な作業でした。

それでも、捨てるには忍びないので、もらってくれる人がいるのは、大変ありがいことです。カナダでは、中古品を使うことにまったく違和感がないようで、夫の前任者たちから引き継いだ10年も使っている家具を、友人たちは、喜んでもらってくれました。

今朝、最後の家具と使い残した日本食の品々(これがまた、貴重品!)を近所にすむJSSのボランティア仲間のところへ届けて、ほとんどのものが搬出終了!

最後に必要でなくなったわたしたちの衣類をショッピングモールの「ドネーションボックス」に投入しました。衣類のドネーションボックスは、コミュニティーセンターや、ショッピングモールなどの駐車上に設置されていて、いつでも気軽に、不要になった衣類を投入できます。わたしが日本にいた頃、日本の廃品回収は、古着を取り扱わなくなってしまたように記憶しています。日本もトロントのように、いろんなところにドネーションボックスが設置されたら、まだまだ再利用できる衣服を一般ごみに出さずに済みます。そのためには、トロントのようにその管理をする団体がたくさんあることが必要ですね。


ところで、こうしてこの一週間、引越しのためにわたしが朝から晩まで、掃除やら家具の引渡しやらをしている間、夫はというと、最後の日までもが仕事です。

そういえば、今までの転勤も引越し前も引っ越し後も、仕事に行っていた夫。わたしは、その間、新しく引っ越してきた見もしらない土地の新しい部屋で片付けに追われていました。阪神大震災では、被災の翌日から仕事場に向かう夫に対して、妻たちは、後片付けや水汲みに追われたそうです。当たり前のように、行われているこの「性別役割分業」って、やっぱり、どこかおかしいんとちゃう?
(伊藤静香)
| カナダ日記 | 00:04 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記76
在外選挙

2年前トロントに来たばかりの9月に行われた衆議院選挙では、滞在期間が3ヶ月に満たなかったので、わたしと夫は、在外選挙の登録ができず、選挙することができませんでした。日本中が湧きたった衆議院では、わたしたちは選挙の結果を指くわえてみているだけでした。

次の選挙では、ぜったい「選挙をするぞ」と、思っていたのですが、ついつい在外選挙登録を怠り、気がついたときには5月になっていました。

それでも、登録後すぐに在外選挙カードがもらえると思い、トロント総領事館に登録に行くと、登録申請から選挙カードがもらえるまで1ヶ月ほどかかるとのこと。しかも、在外選挙は、国内の選挙よりも早く行われるため、今回の参議院選挙は、6月の終わりに近くになるみこみ。「間に合わないかもしれないですね」といわれ、「うっそ〜、なんで、そんなにかかるの?」と、聞けば、申請書はわたしが最後に住んでいた日本の居住区の選挙管理委員会に郵送され、そこで手続き後、また、カナダに郵送されてくるためらしい。このインターネット時代に、オンラインシステム化されていないのか?!居住区によっては3ヶ月以上かかった人もいるとか。
総領事館の人も「わたしたちでは、いついつ差し上げられますとはっきり申しあげられなくて、本当にもうしわけありません」と、丁寧に頭を下げてくれました。これぞ、日本のサービス!カナダのオフィスでこんなに丁寧に言われたことがない。「わたしたちが悪いわけじゃないんだから。しかたないでしょ」開き直られるのが常日頃です。

こうなったら、後は待つしかないと、腹をくくっていたら、ちょうど1ヵ月後の7月はじめに、「選挙カードが届きました」と総領事館から連絡が入りました。

しかも、選挙日が当初の予定から、1週間伸びたため、在外選挙期間は、7月13日から始まるとのこと。わたしたちが、トロントを離れるのが19日なので、ぎりぎり滑り込みセーフで在外選挙権を手にすることができました。

そして、おとといの13日、在外選挙の初日に、夫とわたしは、選挙カードを受け取りに行ったその足で、そのまま在外選挙を行うことができました。
在外選挙会場は、ダウンタウンにあるトロント総領事館の「さくらルーム」です。

選挙会場では、在外選挙申請用紙や、投票用紙の書き方を、親切に教えてくださる人がいて、間違いがないように一人ずつ丁寧に対応をしてくれました。
たしかに間違いや不正があってはなりませんから当たり前のことなのでしょうが、この経費ってバカにならないだろうなあ・・・なんて、つい考えてしまいます。
しかも、この「さくらルーム」地上33階で、前面の窓からオンタリオ湖が見渡せるすばらしい絶景の場所。さすが、総領事館だけあるわ〜。と思いながら、日系コミュニティーに根付いて一般の人々の生活と密着したところで支援をしているJSSが、狭く設備が整っていない貧しい事務所の中でがんばっている姿を思い浮かべてしまいました。

さて、話がそれましたが、在外選挙では、投票用紙に記入後、わたしたちの投票用紙は、投票箱に入れるのではなく、投票用紙を入れた封筒を立会人が確認し、日本の選挙区に郵送されます。

日本では、選挙戦が始まったばかり。海外にいると、日本の様子がわかりにくいうえに、熱くなるのはこれからというときに、すでに投票しなくてはならないので、私の一票がしっかり吟味されたものかは自信がありません。
「たった一人の一票では、なんら変わらない」と思う人がいるかもしれません。けれど、選挙に投票することは、わたしたちが自分たちの住む街、国のことを決めることができるたった一つの手段です。70年前にはなかった女性の参政権を先人たちが勝ち取ったおかげで、今のわたしが投票できるのだと思うと、自分の持っているこの一票を無駄にしたくないと、いつも思います。
(伊藤静香)

カナダ日記76
| カナダ日記 | 23:54 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記75
トロントを離れる日まで1週間となり、あわただしい日々を過ごしています。

何が大変かって、ここを出る日には、すべての家具・生活用品を一切合財処分し、部屋を空っぽにしなくてはいけないこと。夫の前任者たちから引きついだ5世帯にもわたる膨大な家具と生活用品の処分は思ったよりも大変で、家具をもらってくれる人を捜し、引取り日を調整して引き渡すのですが、なかなかことが思うように進みません。いっきに引っ越した今までの日本の引越しとは、まったく違うので苦労の連日です。「もっと前もって、少しずつ処分をしておけばよかった」と、後悔しても始まりません。あと、1週間ですべての荷物を処分しなくては!

その合間を縫うように、トロントで出会った友人や仲間がわたしのお別れ会をしてくれます。昨日は、JSSのボランティア仲間と集まってのお別れ会。自分のお別れ会なのに、なぜだかちっとも実感が湧きません。来週には、もう会えなくなるのに、なんだか、またすぐ再会できるような気がしてならないのです。

インターネットのおかげで、日本の仲間とも絶えず連絡を取り合い、一緒に活動してきたこの2年間で、「どこにいっても、人とのつながりは途絶えない」ということを実感できたからかもしれません。
トロントで出会った友人や仲間たちも、海を越えて、これからもずっとつながっていられると思っています。

以前は、夫の仕事の都合でいろんな所を転々とする境遇をうらんだこともあったけれど、新しい土地で、新たな人間関係を築き、広がっていくのを経験するうちに「転勤族の妻も悪くないなあ」と思うようになりました。

JSSのボランティア仲間とも、これが最後ではなく、ここからまた新しいネットワークが広がることを願って「じゃあ、またね」と、手を振って別れました。(伊藤静香)
| カナダ日記 | 23:53 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記74
日本の新学期は4月に始まりますが、北米では9月に新学期が始まり、6月に終了となります。私の通うアダルトESLスクールも今日が最終日、明日からは夏休みです。(カナダでは、今日はまだ29日金曜日です)

昨日は、授業を返上して学校をあげての終了ピクニックパーティーが開かれました。
学校の裏庭にある公園で、食べ物を広げおしゃべりしたり、ボールゲームをしたり、ダンスをしたり(南米出身の生徒はラテン系!サルサでイェ〜!)、思い思いの過ごし方で、生徒も先生たちも一緒になって楽しく過ごしました。

「また、9月にね」と、挨拶を交わすクラスメートたちを眺めながら、わたしは、もう二度とここへは来られないんだと思うと、急にさびしさがこみ上げてきました。

カナダに永住したいとか、カナダこそ自分の住む場所だなんて、これっぽちも思わないけれど、(わたしの英語力では、ここで生き抜いていくのはとても難しいと身にしみています)
1年間毎日通い続けた学校には、とても愛着を感じます。

最後の授業となった水曜日、私たちのクラスでは、サプライズで先生にプレゼントを用意していました。クラスで一番流暢に英語を話せるCさんが、先生に感謝の言葉をささげた後、さらにサプライズ!わたしが日本に帰ることを知っているクラスメートの一人が、「シズカが、来月日本に帰ります。シズカからも一言」と、わたしに振ったのです。

人前で話をまとめて話すことは、授業の中で何度もやってきましたが、もともと流暢に話せないことに加えて、緊張で頭がまっしろになり、わたしはいつも一言二言を話すのがやっとでした。この申し出には、思わず飛び上がるほどびっくり!でも、最後ぐらい、自分の思っていることをちゃんと伝えたいと思いました。
感謝の言葉に続けて、ゆっくりだけれど、一言、一言、噛み締めながら、クラスが始まったばかりの頃は人前で英語を話すのが嫌だったこと、それでもみんなの前で発言できるようになりたいと思ってがんばったこと、先生やみんなに勇気づけられて、英語を話すことが嫌じゃなくなったことなど、この1年を振り返ってのスピーチをしました。この1年、わたしは自分の伝えたいことをみんなの前で発表できるようになりたいと、ずっと思っていました。けっして流暢な英語ではないけれど、今日のスピーチは自分でも満足のいくものでした。

転勤族の家族であるわたしは、どこの土地にいっても「いつかは去る身」と、距離を保っているところがありました。でないと、別れるときが辛いから。
この学校も1年こっきりとわかっていたから、それほど思い入れをしなかったのですが、
「I miss you」とお互い言いながらハグすると、涙がこぼれそうになります。
友達と言っても、片言の英語では、心を割って話ができるほど親密になれないと思っていたから、日本に帰ったらそれっきりかな〜なんて、思っていたわたしに、
クラスメートは、「Keep in Tuch!」。
別れのときによく言うこちらの言葉ですが、「さよなら」じゃないこの言葉がわたしは、とても気に入っています。
(伊藤静香)

カナダ日記74−1  カナダ日記74−2
左:わたしのクラスメートたち         右:スクールピクニックデー
| カナダ日記 | 22:50 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記73
appy ride

また、また、やってきました!プライド・トロント!

トロント市庁舎前には、レインボーフラッグがはためきました。
今年のテーマは「Unstoppable!」
先週6月15日から、はじまったプライド・ウィークの最終日を飾るのが
24日の「トロント・プライド・パレード」です。

いまや「ゲイパレード」というより、トロント市長自ら、マイノリティーの権利を高らかに謳いあげるパレードは、市をあげてのお祭りのよう。27年の歴史を持つこのパレードは、2時間半に及ぶ盛大なものになりました。

パレード好きの北米人は、のりのりで、沿道の観客は、レインボー色の洋服、レイや小物で身を飾り、レインボーフラッグを振り、「ハッピー・プライド」と歓声をあげ、大騒ぎ。

大音響とともに何台も続く虹色で飾られた大型トレーラーの上では、派手な女装をした「おかまのお姉さんたち」や、ちょっと色っぽい「ハードゲイ系のお兄さんたち」、水鉄砲をかまえ観客めがけて「バトル」を繰り広げるお祭り系の若者など、いろんなパレード参加者が、観客の目を楽しませてくれます。毎年恒例、上半身裸の女性や、生まれたままの姿のおじさんたちも登場。

ど派手なグループのお祭り騒ぎより、今回わたしは地味なマーティング系の団体が掲げるプラカードに関心を持ちました。
「わたしは、ゲイの息子を愛してる!」
「お母さん二人じゃ、なぜいけないの?お父さん二人じゃ、なぜいけないの?」
「レズビアンもゲイも平等に働ける場所を!」
「子どもたちに教えよう。君たちはそのままでいいんだよ、と」
こういったプラカードの声一つ一つが現実だと思います。

マルチカルチュアル、多様性を掲げるトロントでも、実際には、様々な差別が存在します。
100万人以上とも言われるパレード観客の中に、本当の意味で、マイノリティーの存在を真剣に考えている人は、どれほどいるのかと、ふと思ってしまいます。派手な音楽と共にセクシーに腰をふり、一目をひきつけるような団体に、沿道の観客は大喜びですが、セクシーさだけを面白がっている人が大半かもしれません。

本来、マイノリティーの権利を主張するための「トロント・プライド・パレード」。年々派手になっていくかわりに、もともとの目的が見失われてきているとも言われています。参加費用が高額になってしまったため、小さな団体が参加しにくくなったとも聞きます。

「トロント・プライド・パレードは、セクシュアル・マイノリティーのために存在するのではなく、もはやトロント市のものになってしまった」と、企業や政治の広報に使われ始めたパレードを問題視する意見もあります。
ただ、いろいろ問題はあるのでしょうが、日本で行われるプライド・パレードの状況、日本のセクシュアル・マイノリティに対する社会の認識を考えると、トロントのように市をあげて祝い、街中が関心を持つことの意義は大きいと思います。トロント市長自らだけでなく、トロント市議会、トロント市教育委員会、トロント市警察、トロント消防局など市の機関がこぞって参加し、プライド・パレードを祝うような市が他にあるでしょうか?ダイバーシティー・トロントの大きな魅力は、そこにあるように思います。

レズビアンのカップル、ゲイのカップルが手をつないで、堂々とパレードを練り歩く姿は、ちょっと感動します。みんなと同じじゃないと排除されやすい日本の社会において、セクシュアル・マイノリティーの人達が、いかに生きづらいかは想像できます。彼らが、ごく当たり前に暮らせる社会は、社会的に弱者と呼ばれる人達にとっても暮らしやすい社会に違いありません。誰もがそれぞれの存在を認められるような社会は、誰もが暮らしやすい社会だと思います。そんな社会をめざしたい。
(伊藤静香)

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トロント市長デビット・ミラー

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| カナダ日記 | 00:16 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記72
さざ波日記48で紹介いただきましたが、初めてチャレンジした論文がヌエック研究ジャーナル11号へ掲載されることになり、現在、8月の出版に向けて校正作業の最中です。
元専業主婦だったわたしは、論文執筆も初めてなら、校正作業も初体験。
なんだか、急に作家か学者になったような気分?です。(笑)

思えば、昨年の今頃、新しく指定管理者事業が始まり、日本の仲間は生き生きと、忙しく事業に打ち込んでいるのに、わたしはひとり、海外で何もできないまま悶々としていました。
「しずかちゃんも一緒にやっていると思っているからね」と、仲間から暖かい言葉をもらっても、実際に現場にいられないもどかしさは、変わりません。
私に、できることは何もない・・・。ともすれば、落ち込みそうになる気持ちを変えてくれたのが、この論文執筆でした。

指定管理者事業の中枢を担う仲間たちも、以前はわたしと同じように専業主婦でした。彼女たちが、どのようにして自分の能力に気づき、それを引き出せるようになっていったのかを事例報告として、検証し、まとめ、今後の課題を提案したのがこの論文です。

執筆に当たっては、アンケートに答えてくれた仲間たちの協力、すでに論文掲載経験を持ち、研究者として勉学にも励むさざ波日記の典子さんからの多大なるアドバイスには、心から感謝しています。
さらに、今回は夫が協力者として大きな支えになりました。彼は、彼で、自分の都合でわたしをカナダに連れてきた後ろめたさがあるのでしょう。全面的に協力姿勢で、論文に対してのアドバイスはもちろん、わたしが「もう、書けない!やめる」とくじけそうになる度に、「最初は、だれでも難しい。あきらめるな。大丈夫、書ける」と励まし続けてくれました。

論文執筆を通して、わたしは、自分たちがやってきたことを整理し、その意義を確認することができました。事例は、わたし一人のものではなく、共に活動してきた仲間の共有財産だと思っています。だから、誰が執筆してもよかったのかもしれません。
でも、わたしには書く必要があったと確信しています。つながれっとNAGOYAが指定管理者となる前の2003年からカナダに来るまで、協働運営NPO室スタッフとして事業運営に関わっていた私ですが、途中で断念したことに、吹っ切れない気持ちを抱えていました。
私の心の中にいつも存在していた「わたしは、プロジェクトを全うできなかった」という後悔の気持ちが、この論文を書くことによって完結できたのです。
論文を書き終えたときには、わたしの心は、つき物が落ちたようにすっきりと晴れました。
掲載されるかどうかよりも、わたしにとっては「書き終えた」ということのほうが、大きな意味を持っていたように思います。

それでもやはり、「掲載決定」の通知をいただいたときには、飛び上がるほど感激し、まだ、ベッドに眠る夫をたたき起こし、「掲載決定した!!!!」と大歓声。
半分夢の中にいた夫の反応は鈍く「ふ〜ん」と一声あげて、また夢の中へ。
いつもなら、無関心の夫に腹を立てるところですが、天にも昇る気持ちのわたしは、意に関せず、日本の仲間に知らせるべくパソコンに向かったのです。参画プラネットの実践事例が認められたということをみんなと分かち合いたい気持ちでいっぱいでした。

彼のブログによると、このとき、わたしと一緒に喜んであげなかった自分をすごく後悔しています。「彼女がとてもがんばっていたのを知っていたから、ちゃんと一緒に喜んであげればよかった」と、ブログで語る彼。だったら、本人にそう言ってよね、と思うのですが、感情を表に出さないのが「男らしい」とされる日本社会の弊害でしょうか、彼は感情を表すのが苦手のようです。

さて、現在わたしは、校正作業と共に報告会で行うプレゼンの準備も進めています。
カナダで、のんべんだらりんと、暮らしていたわたしにとっては、ひさびさの刺激!
7月末に帰国が決まり、帰国準備と平行しながら、気持ちはすでに、日本に帰ってからの活動に向かって動いています。
(伊藤静香)
| カナダ日記 | 02:16 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP
カナダ日記71
やっと「赤毛のアン・シリーズ」を読破しました!(日本語で)

私が初めて「赤毛のアン」を読んだのは、遥か昔の小学生の頃(30数年前!)
赤毛をからかったギルバートの頭を石版でぶったアンに「なんてかっこいい女の子なの!」感激し、「アン」は私の憧れの存在となりました。

その後、学生時代にアン・シリーズ10巻をそろえたものの、途中で何度も挫折し、私の読書リストからはずされました。
最後には、10巻揃って友人に貸し出したまま返却されず、アン・シリーズを読み通すことはなくなりました。(「赤毛のアン」として有名な1巻は何度も読み返しているのですけどね)
けれど、小さい頃に衝撃とも言えるほどに私の心に刻み込まれた「アン」の想像力の豊かさ、自分に正直な生き方は、大人になっても忘れることができず、いつまでも私の憧れであることは変わりありませんでした。

カナダに住むことが決まった時、最初に思ったのが「アンの国に住める」ということでした。私のカナダのイメージは、「赤毛のアン」の中で語られる、自然豊かな広大な土地、点在する小さな家々、のんびりと草を食む牛たちの姿です。(それなのに、ああ・・・、実際住んでいるトロントは、そのイメージと、なんとかけ離れていることでしょう!)
カナダで「赤毛のアン」をもう一度読み返そうと、「アン・シリーズ10巻」を再び購入し、持参してきたのです。

ちなみに、カナダで出版されている「アンブックス」は8巻で、日本とは編成が異なります。日本で出版されている村岡花子さん訳の「アン・シリーズ10巻」には、アンが主人公になっていない第4巻「アンの友だち」と第8巻「アンをめぐる人たち」が番外編として挿入されています。このためアンが成長していく様子が順に描かれているシリーズに水を指す形になっている様な気がします。
私がいつも挫折をしていたのは、たぶんこのせいでしょう。
特に第4巻は、大人になったアンが、紆余曲折を経て、ギルバートとの本当の愛に目覚め、今後の展開を大いに期待したところに、「番外編」があるため、私は一気に読み進めないフラストレーションがたまりました。
今回も我慢して読み進めましたが、とうとう断念、途中を飛ばしてしまいました。(笑)

さて、カナダに住みながら「アン・シリーズ」を読む醍醐味は、何と言っても、モンゴメリの豊かな表現力で描写される季節の移ろいが実際に見られることと、気候の変化を感じられることです。本の中に登場するカナダの家の様子や風景、日本ではあまり見かけないお墓(アンはお墓が大好きなのです)などもこの目でみることもできます。

私の住むトロントでは、壮大なカナダの自然にお目にかかることは難しいですが、ちょっと郊外に行けば、まだまだアンの世界のイメージを膨らませるのに充分な自然と景色に出会うことができます。
花々がいっせいに咲き乱れるカナダの春が、一瞬にして通りすぎると、木々の緑は一気に濃く青々と茂り、真っ青な空からまばゆいばかりの夏の日差しが降り注がれます。ちょうど今はそんな時。短い夏をアンが惜しむように楽しんだ気持ちがよくわかります。

ところで、全体にわたって人間味あふれる日常の生活が描写されているアン・シリーズですが、最後の10巻「アンの娘リラ」は、少し趣が違います。この10巻は、とくに私が心動かされた巻です。1914年に第一次世界大戦が始まってから終わるまでの4年間が舞台になっています。

第一次世界大戦は、日本人にとってはなじみの薄い戦争ですが、カナダ人にとっては、第一次世界大戦の終戦日が「リメンバランスデイ」と制定されているほど、深く歴史に刻まれた戦いです。生まれて間もないカナダの国が「国」として闘い、非常に多くの若い命を犠牲にした第一次世界大戦がカナダ人にとって忘れることのできない大きな出来事であったことが10巻を読んで理解できました。

おりしも、先月、フランスにある「ビミーリッヂ」でイギリス、フランス、カナダの国の人々が集まって、盛大な式典が催されました。これは、当時イギリスから独立し、建国まもないカナダがイギリスの援護として第一次世界大戦に参戦し「ビミーリッヂの戦い」で大いなる功績をあげたことを記念する90周年の式典でした。フランスの「ビミーリッヂ」には、戦いでなくなった戦士たちを祀る「ビミーリッヂ・モニュメント」が建立されていますが、このモニュメント付近一帯は公園となっており、フランスからカナダ市民に贈与されたものだそうです。(このビミーリッヂの戦いも本に登場します)

10巻「アンの娘リラ」で登場する15歳に成長したアンの末娘リラの青春は、明るく輝くような「アンの青春(第2巻)」と対照的に、暗く苦悩に満ちたものです。

刻一刻と戦況が悪化する中、子どもたちの歓声と笑顔であふれていたアンの家からは笑いが消えます。次々と戦場に送られる息子たち。残された女性たちは、贅沢をつつしみ、寄付を募り、慰問の品々を作り、戦場で戦う戦士たちを支えるべく献身的に働きます。戦争で翻弄される人々の些細な日常の様子をユーモア交えて描いていますが、暗く重苦しい戦争の現実から目を離さない描写には、モンゴメリの戦争に対する強い怒りのメッセージを感じます。

戦争が終わり傷を負って帰還したアンの息子ジェムの言葉が印象的です。
「『われわれは新しい世界にいるのだ』とジェムは言う。『それをわれわれはもとの世界よりもっとよいものにしなければいけない。それはこれからすることだ。もうすんだと思っている人もいるらしい。仕事は終わっていない―本当は始まってもいないのだ。・・・僕は戦争というものを十分見てきたから、戦争など起り得ない世界をつくらなくてはならないことがわかった。・・・』(「アンの娘リラ」新潮文庫より)」
モンゴメリは、登場する人たちの言葉を借りて、戦時下において人々の意識が次第に扇動されていく異様な世界、戦場で戦う兵士たちの恐怖、残されたものたちの苦悩や悲しみなど、戦争の愚かしさを訴えます。

モンゴメリが「アンの娘リラ」を書いたのが1921年。「二度と戦争のない世界に」と願う彼女の気持ちとは裏腹に、その後、第二次世界大戦が勃発し、90年近く経った今でも世界のどこかで戦争が起こっています。そして、「戦争放棄」をした日本では、改憲へ動き出し、私は再び戦争への道へひた走るのではないかという不安がぬぐいきれません。

今改めてこの10巻を読みながら、なぜ人間はいつまでも同じ過ちを犯し、争い続けるのか、やり場のない怒りに震えます。
「みんなが武器を捨てて、戦争のない世界に」という私に、「そんなのは、理想だ」と言い放った日本人男性がいました。確かに理想かもしれません。現実を見極めることも大切だと思います。けれど、理想を持たない世界に将来があるのでしょうか。

1908年に「赤毛のアン」が書かれてから、1921年に「アンの娘リラ」で終結するまで13年間。当時の読者はきっと、アンと同じように年を重ね、自分の人生とクロスさせながらこのシリーズを読んだことでしょう。
私もこのシリーズを順に読みながら、今まで歩んできた自分の人生と照らし合わせ、過ぎ去った日々に思いをはせました。

ただひとつ、残念なことは、私が未だに「アン・シリーズ」を原作で読むだけの英語力を持たないことです。村岡さん訳の日本語を読みながら、英語ではどう表現されているのだろうかと関心をもつこともしばしば。
今度は、ぜひ原作本にチャレンジしてみたいです。
(伊藤静香)

アンの娘リラ―第十赤毛のアン
アンの娘リラ―第十赤毛のアン
モンゴメリ, 村岡 花子, Lucy Maud Montgomery
| カナダ日記 | 23:07 | comments(0) | - | - | - | ↑PAGE TOP